━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
JPMがお届けする不動産コラム 2008/5/19 vol. 18
━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■明治~ 木造アパート
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
明治43年(1910年)に日本初の木造アパート「上野倶楽部」が落成したのが、日本の共同住宅の始まりとされています。
5階建て70室のアパートで、洗面・浴室・電話は共同の建物であったそうですが、70室のアパートとなると大規模住宅の部類に入る建物であったと思われます。
ちなみにこの「上野倶楽部」の落成日である11月6日は「アパート記念日」とされており、この後、大都市圏で木造住宅アパートが多数建設されることになります。
■大正~ 鉄筋コンクリート住宅
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
大正5年(1916年)には、日本初の鉄筋コンクリート(RC)造共同住宅「炭鉱住宅」が、炭鉱業で栄えた長崎県高島町に三菱鉱業の社宅として建てられます。
その後、一般の共同住宅としては、大正12年(1923年)に、江東区の古石場に日本初RC造の「東京市営古石場住宅」が建てられました。(1999年に解体)
同年に発生した関東大震災後は、急速にRC造住宅が普及することになりますが、その大きな役割を担ったのが、「財団法人同潤会」による同潤会アパートでした。
大正15年(1926年)以降、大震災後の教訓から不燃の鉄筋コンクリート造の住宅供給を目的に、多くの同潤会アパートが東京・横浜に誕生することとなります。
近年では、表参道ヒルズの一角に再現された同潤会青山アパートが有名ですが、そのほとんどが現在では取り壊され、当時の形で残るものはあとわずかになってしまいました。
■昭和~ マンション
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
戦後の昭和28年(1953年)に公的分譲マンション第1号が渋谷に誕生します。
当時、制服を着たエレベーターガールまでおり、「天国の100万円アパート」と呼ばれた11階建ての「宮益坂アパート」です。
遅れること3年後の昭和31年(1956年)には、現在も現役で活動している民間分譲マンション第1号「四谷コーポラス」が誕生します。
これを皮切りにマンションの供給が開始されることになりますが、昭和30年代前半は高所得者向けの都心型高級マンションが主流でした。
オリンピック前の昭和37年(1962年)には、マンション法(区分所有法)が制定されます。
昭和も40年代に入ると中堅所得者向けの大衆型マンションが徐々に普及を始め、40年代後半からは急激に供給が拡大されることになります。
また、実際に「マンション」と呼ばれ始めたのも昭和40年代半ばあたりからです。
その後、昭和58年(1983年)の「区分所有法の大改正」、平成12年の「マンション管理適正化法の制定」、平成14年の「区分所有法の改正」「マンション建替えの円滑化等に関する法律の制定」など、年々法整備が進み現在に至っています。
■平成~
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
平成9年(1999年)の55階建ての川口エルザタワーを皮切りに、天空高くそびえる超高層マンションブームが到来、その後も東京湾岸エリアに立ち並ぶ超高層タワーマンション群は人気も高く順調に供給が進んできました。
しかし、同時に築年数が30年を越える中古マンションのストック数が、2010年には100万戸を超えるといわれており、建替えや管理に対する問題が徐々に顕在化してきています。
「スクラップ&ビルド」ばかりを繰り返してきた日本の住宅市場ですが、今後は資産としての新たな活用方法が模索されています。
廃材を極力出さないという観点からも、リノベーションは今後もますます注目を浴びそうです。